先生への言い訳

高校時代に学校の先生に対して授業中にした上手い言い訳を紹介

私は関東に住んでいる20代の男性です。自動車部品を製造するメーカーの財務・経理部門に勤務しています。

 

そんな私がした上手い言い訳は高校の時の古典の先生に対してしたものです。

高校時代の先生に対してした上手い言い訳

恐らく、今の学生でも、そうだと思いますが、指名して答えさせる授業というのは嫌がられますよね?

 

今は、先生に対するチェックの目やモンスター・ペアレントなどの出現で大分と先生も横柄さと言うか陰湿さもなくなりましたが、私が、学生だった頃は、まだ、先生が結構、威張っていた時代でした。

 

今回、お話する先生も指名して答えさせるというタイプの授業でした。適度な緊張感を持たせる、あるいは、理解度を確認するという意味でのそういう授業スタイルなのかもしれません。

 

しかし、指名して答えられないとネチネチとしつこく言葉でいたぶり、場合によっては生徒を放課後に残して特別授業を行うという形で、生徒は皆、一様に嫌がっていたというのが実情です。

 

客観的に見れば、それだけ、熱心という見方もできるのですが、私が見る限りは、生徒が動揺したり萎縮したりしているのを見て楽しんでいる、いわゆる「サディスチック」な面があるとしか思えませんでした。

 

忘れもしない、確か、梅雨の時期だったと思います。最初に指名される人は、その日の日付の出席番号の人が指名されます。

 

つまり、7日ならば、出席番号7番が一番最初に指名されるというように。そして、その人を起点に縦、横、斜めというように座席表通りに几帳面に指名していきます。

 

だから、日付から当日に指名される人を予測することが出来れば、大方のシミュレーションができて、自分が指名されるか、されないかが予想できます。

 

しかし、現実は、そうそうシミュレーション通りに上手くいくものではなく、スンナリと答えられる人とそうでない人がいることで、授業の進捗度が変わり自分が指名される可能性も出てきます。

 

その日も、授業終了のチャイムが鳴る5分程前でした「よし、このまま乗り切れば指名されずに、授業を終えることが出来る。頼む!このまま持ちこたえてくれ!」と祈るような気持ちいました。

 

その時に、無意識に自分の腕時計を見たのを目ざとく見つけたその先生の一言「●●(私の苗字)、何故、時計を見ているのです!?」。

 

「しまった!見られていたか」と内心、激しく動揺しました。とにかくも理屈っぽい先生ですので、「何曜日か確認してました」などと言おうものなら「曜日がわからなくて、よく時間割が確認できますね」とか突っ込むに決まっています。

 

まして「あとどのくらいで終わるかな?」などと返答しようものならば、どんなことを言われるかわかったものではありません。

 

生徒の動揺や萎縮を楽しむ嫌なタイプですから。固唾を呑んで見守る周囲の目もヒシヒシと雰囲気で伝わってきます。正に、絶体絶命のピンチでした。

 

その時に咄嗟に放った私の言い訳が「いや、今日は何日かな?と思いまして」と心は荒波のように動揺してましたが、至って平静を装って答えました。

 

するとその先生は「今日は7日です。英語では7thと書きます」と。その瞬間、教室の緊張感が一気に崩れてドカンと爆笑が起き、私自身も何故かニヤリとしたのを記憶しています。

上手い言い訳をした結果先生の追及を回避

結局、この先生とのやりとりのおかげで時間を消費することが出来て、指名されて答えさせられるという事態は回避することができました。

 

私の前の人を指名したところで授業終了のチャイムが鳴り渡り、ゲーム・オーバー。首の皮一枚で繋がったという表現が一番合っている状況でした。

 

かなりの冷や汗ものでしたが、何とか逃げ切ることが出来ました。授業終了後に周りのクラスメートから「よくあの窮地であの言い訳を思いつたな」と褒められているのか、驚かれているのかわからないような言葉をかけられました。

 

苦し紛れでは、ありましたが自分でもよく咄嗟に思い付いたものだと、今、振り返っても感心します。

 

もし、時間が余っていていたら、確実に指名されたことは明らかでした。更に、前の人に対する質問を思い返してみても到底、自分にも答えられるようなものではありませんでした。

 

ですので、クラスの中で恥をかかされるか、放課後に残されて特別授業かのどちらかだったと思います。

 

その先生も帰り際に私の顔をみながら「よく、思いついた言い訳だね」と苦笑いをしながら教室を後にしていきました。

 

授業で指名されること、放課後に残って特別授業、今、思い返してみれば、大したことではないのですが、何故、あそこまで嫌だったのかわかりません。

 

でも、当時からあまり人前で話すことが苦手だった私には、指名されて答えるというタイプの授業は、苦痛この上なかったというのは、偽らざる事実です。

 

恐らく、この感覚は、今の学生にも通じるものがあるのではないかと思っています。

 

ただ、この言い訳は、これ、以降は使えなくなってしまいました。以後、この先生は授業の都度、「今日は、何日ですからね」と嫌みたらしく私の方をみて言うようになりました。

 

翌年、その先生は、人事異動で県内の他校に転勤になり、不謹慎なようですが、私のみならず、他の生徒もほっと胸をなでおろしたようです。

上手い言い訳のためにはよく考えることが大切

アドバイスと言えるほどのものかどうか、わかりませんが、経験則をお話しします。

 

この他にも言い訳の経験は大きいもの、小さいものを含めれば、多々あります。中には、失敗したものもあれば、成功したものもあります。

 

失敗して事実が露見してしまい、それ以降の関係性がギクシャクとしてしまい、後味が悪いものなどもあったりです。

 

言い訳というのは、体のいい嘘です。勿論、熟慮に熟慮を重ねて放つ言い訳の方が、整合性もあり、上手く通ります。

 

ただ、あくまでも、経験則であり、ケース・バイ・ケースなので絶対とは言い難いのですが、想定外の窮地に陥った時に放つ言い訳の方が威力があり、今回のケースのようにユーモアーに富んだ結果になるように思えます。

 

それは、熟慮した時の力よりも瞬時に放つ瞬発力の成せるわざなのかもしれませんが、咄嗟の言い訳の方が通りがよかったようにも思えます。

 

「窮鼠猫を噛む」という慣用表現があります。追い詰められた弱者が思わぬ抵抗をして強者を打ち破るという意味ですが、これに近いものがあるように思えます。

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