神奈川県の在住の男性で当年の夏を以て55歳になります。以前は某企業で財務や経理の仕事をしてましたが、体調を崩してしまい、やむなく退職。
ネットで在宅でできる仕事を探していたら「Webライティング」という仕事を見つけて最近頑張っています。
言い訳ですが、55年も生きてくると言い訳も様々してきてます。体の半分は言い訳で出来ていると言っても過言ではないくらいです。
中には、成功したものもあれば、失敗してしまったものもあります。今回は、その中でも失敗してしまった言い訳の例を書きたいと思います。
叔父の葬式に出ないことに対する父への言い訳
まだ、会社に勤務していた頃の話です。義理の叔父が癌になり、既にステージ4で余命、幾ばくもないという連絡がありました。
この叔父には、煮え湯を飲まされた遺恨がありますので、通夜に葬儀に出席などしたくないと思いました。以下、そうなった経緯をお話しします。
大学4年の頃、色々とあって、卒業見込み証明書が貰えず、周りの友達とともに就職活動が出来なくて、苦境に立たされていた私に、勤め先を紹介してくれたのは、他でもないこの義理の叔父です。
このことに関しては、幾重に感謝しても感謝しきれないくらいです。もし、勤め先が見つからなければ、私は本当に就職浪人になっていたところでした。
この義理の叔父自身も税理士事務所を運営していたので紹介してくれたのは、義理の叔父の友達の税理士事務所です。
しかしながら、この所長と私は、どうにもこうにも相性が合わない状態でした。色々な面で根本的なところが相容れないものがありました。
会社に勤めているのと違い、会計事務所というのは、言わば、個人商店のようなものです。雇い主と相性が合わないとそれは、もう辛いものがあります。
なにしろ、直接、給料を貰うわけですから。義理の叔父にとっては、良き友人であったとしても、雇い主と使用人の関係になると全く、話は違います。
勤め始めて2年くらい経過したころに、一度、退職を考えたのですが、それでも義理の叔父の顔を潰しては申し訳ないと思い、我慢しながらも務めていました。
そんな状態で勤めていて、3年が経過しようとしたころでした。義理の叔父から連絡があり「所長から、このままでは、お互いに不幸だから、●●君(私の名前)は退職したほうがいいのでは?」とのことでした。
この時は、血が逆流する思いでしたが、更に、腹立たしいのは、2ヶ月も前からこの話があって所長から義理の叔父のほうに電話があったにも関わらず、当人の私には何の連絡もなかったことです。
所長は、義理の叔父が私に連絡を入れているものと思い、私が退職願を出さないので、不審に思い、叔父に催促をしたらしいのです。
この2か月の間、私は1日たりとも遅刻も欠勤もせずに真面目に勤務していたのは何だったのだろうと思い、1年前に退職を考えたものの義理の叔父の面子を考えて思いとどまった自分が馬鹿に思えてきたのと、義理の叔父への不信感と憎悪が一気に高まりました。
その時の義理の叔父の連絡が遅くなった言い訳が「忙しかったもので」というのも腹立たしかったです。
いくら忙しいといっても1時間も2時間もかかるものではない、長くても、せいぜい5分かそのくらで済むことです。
結局、退職をして、その後、上場している企業の財務・経理部に勤務することが出来て、仕事にも慣れて、色々とキャリアを積んできたころに冒頭に書いたような連絡があり、それから程なくして、義理の叔父は鬼籍に入ることになりました。
父から「お前も通夜と葬儀には、出席するのだろう?」と言われたので、「いや、両方とも出席しない!」と言い切りました。
「何故?」父は怒ったように問い詰めましたので、私は、前述の経緯を思い出し「忙しいから」と言い換えましたが「いくら忙しくたって、親戚の葬儀だろう。何がそんなに忙しい?」となかなか聞き入れてくれません。
一瞬のうちに色々な言い訳が頭を過りましたが、ふと閃いた言い訳がありましたので、即座に「『インサイダー取引になる』・・・と言えばわかるだろう?」と言いました。
「増資か?」と聞いてきたので私は、否定も肯定もせずに、苦笑いをしただけですが、これで父は全てを理解したようです。
勿論、増資の話などありません。通夜にも葬儀にも出席したくないただの言い訳に過ぎません。また、出席すれば、退職した税理士事務所の所長と顔を合わせるのも嫌だったというのもあります。
「増資があるから忙しい」という偽の「大義名分」と「錦の御旗」を得て私は、平然と葬儀を欠席しました。
上手い言い訳をしたと思ったのに1年後にバレた
それから、暫くして1年くらい経過したころです。その言い訳が嘘であると露見してしまったのは。
当時、勤めていた会社の役員と私の父とは実は、旧知の仲で会社も近かったせいかよく情報交換や食事会などをしていたのですが、その役員と私の父が偶然に帰宅時に会って、一緒に帰ってきたときのことです。
もう時間も大分と経過していて、私も何時までも忙しいふりをしているのも何か疲れるしわざとらしいので、「取りあえずは、もう増資関連の仕事は、終わった。もう公にしても大丈夫」と話していたで、父もそれを頭の片隅にでも入れていたのでしょう。
ひょんなことで「増資」の話になったらしいのですが、その役員の人から「資本金はそのまま」或いは「増資はしていない」とでもいうような話がでたのでしょう。
父は、私の言い訳が大嘘であることに勘付き、帰宅するなりに怒鳴られました。「どうして、あんな嘘をつくんだよ、お前は!『江戸の敵を長崎で討つ』ようなことをして!」
いきなり怒鳴られた私は、何のことだかわからずに、正に目が点になるような状態でした。父の話から、ことの経緯を知ることになり、流石に冷や汗が出てきたのを思い出します。
昔気質で、義理と人情には厚い父の性格から、いくら遺恨があるとは言え、通夜にも葬儀にもまことしやかな言い訳をたてて参加しなかった私のことは許し難いものがあったのでしょう。
もう、いい大人の年齢ではありましたが、数十年ぶりにこっ酷く説教をくらいました。私も正直に例の一見で遺恨はそのまま残っている、例え親戚であっても一太刀くらい浴びせないと溜飲が下がらないとでもいったのを覚えています。
ただ、執拗な父と母の説得で、渋々と義理の叔父に香典を持って線香を手向けにいきました。その時は何とも気まずいものがありました。
こんな、経緯があってか、義理の叔父の家の人とは、母方の祖父や祖母の法事や親戚の集まりがあっても目を合わせないくらいの冷ややかな関係が今でも続いていまして、義理の叔父の妻である叔母(こちらは、母の妹)も、何か私に対しては、よそよそしい感じがあります。
上手い言い訳のアドバイス
今回の言い訳は、上手くいけば成功の部類にはいったのかもしれません。何せ、法律に裏打ちされた守秘義務という厚い壁がありましたから。
ただ、言い訳が崩れ去った時というのは、ダメージはかなり大きいですね。特に、今回の私のように通夜や葬儀など人の生き死に関わるようなことでの言い訳は、報復とはいえちょっと後味が悪く拙かったように思えます。
ただ、やはり生きていく以上、今回の私のように明らかな悪意はなくても言い訳が必要な時はあると思います。
言い訳を使うときは、巧妙さも勿論、必要ではありますが、万が一でも言い訳が失敗したときのこと、そして、本当に使っても大丈夫な言い訳なのかということも考えて言い訳を言った方が、いいと思います。
そうすれば、私のように傷口は大きくならずに済むはずです。人間関係というのは一度壊れてしまうと修復がとても難しいです。
言い訳をする場合はよく考えて、綻びがないような言い訳をすることをオススメします。
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